あいどんノート

日々疑問に思ったことや得られた知見を書きなぐります!

やっぱり知っているだけではわからない

こんにちは、最近モチベ大増加中のふぇりです。

今日は当たり前と言っては当たり前なのですが、「知っている」ことは「わかっている」事ではないなぁと感じることがあったので書きなぐろうかと思います。

 

背景

最近読み始めた哲学(クオリア(質感))の話を友達にした際に質問され、その質問はその記事に書いてあったが、説明ができなかった。

 

どんな会話をしたか

記憶を手探りで書くのでところどころ違う部分はあると思いますが、根幹はあっていると思います。

ふぇり「クオリアっていうことについての話があって、自分たちは色の認識をしているじゃん。例えばこのお盆をみて薄い青だって感じたり、これ(調味料置き)をみて赤だって感じる。自分たちって何を持ってしてこれを赤だって思うのか、定義しているのかっていう話があったんだよね。」

友「それは単純にそれを赤だとして学習したから赤だと認識しているんじゃないの?」

 

困った。それはそうだがクオリアについての理解が浅くてそれに対する反論をすることができなかった。

その時に、自分は哲学をしていたのではなく、ただ読んで知っているだけという現実を強く叩きつけられた。

授業や友達から教えてもらっている時に「なるほど、わかった」となり、あとあとそれを聞かれた時にうまく説明できない状況と完全に一致している現象が起きていた。

 

勉強に関しては理解したと思ったら一度最初からわかる人に説明して、自分の説明が正しいか間違っているかで理解度を確かめることができるが、哲学のしかもパラドックスとなると正解はないに等しい。

そのような教えてくれる人がいない場合や答えがない問題に関しては、数学ガールでいう<例示は理解の試金石>がとても役に立つと改めて感じた。

その現象・問題に対して例示をして相手に理解してもらうことができれば、それを持ってして自分が理解したと言えるのではないだろうか。

 

それを踏まえて再度考えて理解・説明ができるようにして、思考をより深くできたらいいなと思うので、是非実践していきたいと思った。